なにゆえ、短歌や俳句を詠むのかというと、そこに美しいものが存在するからです。

私は雨上がりを散歩するのが好きです。それは洗ったあとの町並みや景色、洗い立ての匂い、そういうのを感じたいからです。雨がやんだら、ピカピカの世界を撮ろうとカメラ(スマホ)を手に町に飛び出します。しかし、スマホではうまく写真には撮れません。そこで・・・・一句。
洗い立て 散歩するなら 雨上がり
はい、俳句が出来ました。季語はありません、写真が季語というか、俳句のルールとか知りません。ここで大事なのは自分で自分の作品に酔うことです。誰がなんと言おうとアナタは天才です。
家に帰って用をたそうとすると花瓶の水仙が枯れそうです。これは一大事です、枯れる前になんとかしなければ。

水べりで自分にみとれて水仙に 神話も歌も花は人だと
はい、短歌が出来ました。水辺に自分を映して水仙に変えられたのはナルキッソスだったでしょうか、ナルシストの語源だったと思いますが面倒なので調べません。本当は水仙に、こんにちはと挨拶する少女を詠みたかったのですが、そんな幼女は待てど暮らせど現れませんでした。
それで、いろんな歌に歌われるように人は花ですからねえ、という短歌になりました。ちなみに短歌のルールは31文字というルールしか知りません。ねえ、簡単でしょう。
ただ、町を歩いていて頭をぶん殴られるぐらい感動できればいいのですけど、そんなことそんなにないですから。俳句や短歌にして言葉を並び替えたり、違う角度から眺めているうちに新たに感動したり、真の美しさを発見したりするものです。
さあ、町に出ましょう。
コメント
洗いたて さんぽで凍る 冬の髪
水べりで のぞきこんだら ぶさいくな 鼻がみえたよ 神話クラスの
さぁ、船に乗って旅に出よう。
どんぶり1号
2018/01/19 20:05 URL 編集 返信323324234
Briansom
2018/01/20 00:46 URL 編集 返信donnguri77
2018/01/20 09:14 URL 編集 返信でも、今の若者は休日になると「スマホを持って家にこもってる」のが多いらしいです。
まぁ、金を使わなくて済みますけどね(笑)
sado jo
2018/01/20 14:02 URL 編集 返信donnguri77
2018/01/21 11:24 URL 編集 返信